まぁ、親になったからって訳じゃなく、以前からずっと考えてきたことで、色々思考した結果としてそういうことに落ち着く意外に考えの道筋が進まないってだけなんだけど。
生きることは自分の将来を考えること、将来を考えることは、今を考えること、自分に家族ができたとき、自分が病気になったとき、自分が死ぬとき、自分が死んだ後のこと、今持っている物をどうするか、自分の奥さんについて、自分の子供について、それらの将来のために今の自分自身について。
人は誰でもいつでもどこでも死ぬときは死ぬ。
じいちゃんもばあちゃんもインコの悟空もゆっこも優太も、マイケルジャクソンもアベフトシも、うちの相方も小夏も両親も妹も自分自身も。
いつもいつでも死ぬタイミングはそこかしこにある。
当然死から逃れることはできないし、そのことを考えないということはただの逃避でしかない。
さすがに毎日考えるのは変かもしれないけど、そのくらい真剣に死ぬことについて考えている。
自分が死ぬことはもちろん、相方が死んで自分が残ったとき。
そんなことがあってほしくはないが、小夏が死んでしまったとき。
一人で小夏をどうするか、自分がいなくなった後どうなっていればいいか、二人でどう乗り越えていくか。
まあ、特に親になったからか分からないけど、常に死ぬ準備をしておかないといけない気持ちが強い。
母親はまだしも父親は特に、残してあげられる物は多いほどいいはずだと感じる。
自分とその周辺の人の為に将来のことを考えて生きることが今の自分の人生にとって最も重要なことであり、そうやってまじめに生きていくことが今の最大のテーマだ。
何かの本だかの記事で読んでその通りだと思った言葉は
生きることは緩やかに死に向かっていくことである。
前にこのブログでも書いたかもしれないけども、今を生きている人間はたまたま偶然生きているというだけにすぎないのだ。
それは「ただ偶然にも生き残っている」だけなのだ。
しかし、その「偶然にも生き残っている」という状況に甘んじてはいけないのだ。今を生きたくても生きられない、明日生きたくても生きられない、たまたまそういう状況ではないだけなのだ。
だから、いつもこういう思考を巡らせた後は、ああしたかった、こうしたかった、将来こうしたい、こうなりたいという夢を持っていながら実現出来なかった人の代わりにそのことを実現して、いつかあの世でそいつに自慢してやるんだ。
優太はスポーツ記者になりたかった、ニューヨークにいってメジャーリーグの取材をするのが夢だと小学校の卒業文集で書いてあった。
生まれてすぐに心臓病だということが分かり、医者からは20歳まで生きられないと言われたそうだ。
優太は22か23で死んだ。もう覚えていないのな。ちっさい体で、生意気で、妹思いのやつだった。
実際には中学生のころくらいまでしか知らないが、あいつはそんなに簡単には死なないと思っていたけど、ある朝ベッドの中で眠ったまま息を引き取ったそうだ。
通夜だか告別式の夜に一人で卒業文集を見て泣いた。
ニューヨークには行けただろうか、メジャーリーグは見たんだろうか。
そして思ったことは、やつが実現出来なかったことをあの世であったときに自慢してやろう。あいつはきっと天国にいておいらは地獄に堕ちて会えないかもしれないけど、地獄に堕ちたら天に向かっていってやるんだ、
「お前ができなかったことをして精一杯生きてやったぜ」
そういう風に生きて死ぬことに決めた。
当時の俺の目標は
『結婚して、子供を作って、孫に囲まれて「俺の人生むちゃくちゃ楽しかった〜」って言って死ぬ。』
もちろん今も変わっていない。けど、普通の生活を送っているとうっかり惰性で生きてしまいがちだけど、なにかのきっかけでいつも思い出せと言わんばかりにこのことを考えなければならない時がくる。まぁ、忘れっぽいからすぐにまた忘れちゃうんだけどw
たまたま偶然にして生き残ったからには、生き残れなかったものの分まで精一杯生きなければならない義務があるんだ。
明石家さんまの「生きてるだけでまるもうけ」と同じかもしれないけどw
たまたま偶然にして生き残ったからには、生き残れなかったものの分まで精一杯生きてあの世でそいつらに自慢してやるんだ。
そんなこと言っても、今はまだ準備も足りないし、正直なところ全然リアルじゃないけど、いつでも死ぬ準備をしておかなきゃいけないんだよ。人として生まれたからには誰もがさけて通れないんだから。
そ、どうせ等しく死ぬなら笑って死ね。
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